初めて木積地区に行ったとき、あまりの山道に本当にこの先に集落があるのだろうか、、、
と怖かった。
岩国市錦町は市内の中でも山の中。
そのさらに先の細い山道を上がった先に木積という集落がある。
ここは、明治時代頃からこんにゃくが盛んに作られている土地だ。
斜面で水はけの良い土地を好むコンニャクイモにとって、この急勾配の山肌は住み心地の良いところなのだろう。
今でもコンニャクイモが自然畑の中で自生している。
昭和に入って建てられたという、通称「こんにゃくの碑」
この地域でこんにゃくの存在がいかに大切だったかがわかる。
木積こんにゃくグループは、昭和48年ごろから始まった。
ここの加工場には近隣の地域から多くの人が修行に訪れ、その技術を地元へ持ち帰り、こんにゃく文化が広がっていったという。
いわば、岩国で作られるこんにゃくのルーツの地ともいえる。
村上さんは、そんな木積こんにゃくグループの伝統を引き継ぎ、集落に住む人が少なくなった今もなお自然畑の管理とこんにゃくを作り続けている。
傾斜のあるコンニャクイモの自然畑を歩いて収穫するのもなかなか体力のいる仕事。
そのほとんどを一人で管理しているというから驚く。
山の中を歩いているからか、村上さんはいつも笑顔で元気。
この木積地区にお嫁に来て、沢山のお子さんに恵まれたという村上さんは、
「子供が小さいときはみんなこんにゃくと一緒に車に乗せてから、朝早くに町の方に売りに行っとったんよ~」と笑う。
もう、こんにゃくとの生活は長い。
今では多くのこんにゃくが粉から作られるようになり、こんにゃくは通年販売されているけど、実はコンニャクイモの旬は10月から。
コンニャクイモを見たことがある人は少なくなってきている。
コンニャクイモ自体もとても魅力的なので、その不思議な生態系についてまた記事にしたい。
冬には雪で一面真っ白になるこの地域。
寒い時期になると、こんにゃく作りは本格的に。
最盛期時には大釜で一度に200個程度のこんにゃくを作っていたが、
今では1日30個ほどしか作らないのだという。
村上さんのこんにゃくを食べたとき、衝撃だった。
まるで水を食べているかのように澄んでいて、なんのクセもない。
あく抜きも必要ないのだという。
その理由は、自然畑で育ったコンニャクイモは粘りが強く、おいしいこんにゃくを作れるから。
そして、97%が水でできているこんにゃくにとって、おいしいお水が欠かせない。
この地域に流れる錦川がその澄みきった味わいを出しているのだろう。
ほとんどが地元で消費される木積こんにゃくのこんにゃく。
是非、食べてみてほしい。
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